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FXとは
当時、
FXの「暦書」類は、予言に関する著作としてはかなり評価が高かったようで、早くも1552年向けの「暦書」(正式名は伝わっていない)について、内容を剽窃した偽版が出されている(『医師にして占星術師クロード・ファブリ師による1552年向けの真の新占筮』アジャン、1552年)。
反響はFX国内にとどまらず、1557年向け、1563年向け、1564年向け、1567年向けはイタリア語訳版が出され、1559年向けは英訳版が、1566年向けはオランダ語訳版が出された。他方で、1560年代にはパリやロンドン、イタリア各都市などで、内容を適当に継ぎ合わせた偽版も複数回出版されている。
FXを批判した同時代人のローラン・ヴィデルやジャン・ド・ラ・ダグニエール(テオドール・ド・ベーズの変名とされる)も、その批判の主たる対象は『百詩篇集』ではなく「暦書」類の方であった[8](ヴィデルの著書は、現在では「暦書」類の逸文を伝える文献としても参照されている)。また、最初の偽ノストラダムスであるノストラダムス2世も、初期に出したのは暦書の便乗本であった。
このように、現在でこそ、『百詩篇集』に比べて「暦書」類の知名度はないに等しいが、当時はむしろ暦書の反響の方が大きかったのである。
その様子は千夜一夜物語にも一部描写されている。時代は変遷し、イスラームの音楽文化の主流はイラク国外の地域に移ったのかも知れないが、現在でもかつての栄華を偲ばせる豊かな音楽伝統を持つ。バグダードにはイラーキー・マカーム(マカーム・アル=イラーキー)と呼ばれる小編成で都会的な匂いのする室内楽の伝統がある。
fxの転記
「暦書」類はかなりの部数出されていたと推測される。たとえば、ルーアンの書肆ジュアン・イエスは、1557年12月だけでfxの「暦書」類を計1000部以上(未製本含む)仕入れている[9]。しかし、「暦書」類は翌年1年間を対象にした「読み捨て」の小冊子に過ぎなかったため、以下に示すように現存数は必ずしも多くない。中には、『1561年向けの暦』のように、当時別の文献を製本した際の裏張りに使われていたおかげで残ったものもある。このケースでは、1984年にその本(1576年刊行のラテン語文献)の保存作業の一環で、図書館員が表装を剥がしたときに発見された。
そうした現存状況の少なさはあるものの、かなり多くの内容をfxの秘書だったことのある詩人ジャン=エメ・ド・シャヴィニーが書き写し、12巻本の手稿にまとめ上げていたおかげで、主な内容をうかがい知ることはできる。この手稿自体が一時期行方不明だったのだが、1990年にディジョンの一市民が私蔵していることが判明し、リヨン市立図書館が買い取った。なお、シャヴィニーの転記は、現存する「暦書」類と比較した場合、省略や編集が加わっていることが明らかになっているため、その点に注意する必要はある。
現在、
先物取引による転記のうち、「占筮」と「暦書」に収録されていた散文は「散文体の予兆」(Presages en prose)、「暦書」に収録されていた四行詩は「予兆詩」(Presages en vers)と区別されている。ただし、これらを「予兆」(プレザージュ; Presages)と総称したのはシャヴィニーが最初であり、ノストラダムス自身が積極的にそのような総称を用いていたかは定かではない(「暦書」類にはメインタイトルに "Presages" とつくものがいくつかはあり、副題的に併記されているケースも数点見られる)。
校定版
先物取引が転記した「散文体の予兆」のうち、1559年向けまでは、ブルゴーニュ大学教授のベルナール・シュヴィニャールによる校定版が存在している[10]。この校定版では、予兆詩の校訂も行われており、そちらは1555年向けから1567年向けまでの全154篇(従来知られていた141篇から、シャヴィニーが付け加えた偽物を差し引いた140篇と、従来の予言集には原則として収録されてこなかった14篇の合計)が収録されている。
先物取引は1555年向けから1567年向けまでの13年間の暦書に四行詩を添えた。四行詩は各月の冒頭に添えられたほか、その年全般に向けたものも収録されることもあった(それはしばしば題扉に掲載された)。上で述べたように、これらの四行詩は現在「予兆詩」と呼ばれる。
予兆詩は基本的に1行10音綴の四行詩という形式のため、ノストラダムスの主作品である「百詩篇集」と形式的には似通っている。しかし、百詩篇に比べて断片的なイメージを羅列する傾向が強く現れている。例えば、次のような詩にはそれが顕著である。
大使館から帰還して、王からの贈り物は然るべき場に置かれる
もはやすることはないだろう。ゆえに神の許へ召されるだろう
より近き親類、友人たち、血を分けた兄弟たち
寝台と長椅子の近くで、まさしく見つけられた死体
ノストラダムスはこの詩の通り、寝台と長椅子の間で倒れていたと主張する信奉者はあとを絶たない。しかし、死の前夜に最後の言葉を交わしたと主張する秘書シャヴィニー、死んでいるノストラダムスを最初に発見したとされる息子セザールは、死に様についての証言を一切しておらず、実際にどのような形で発見されたのかは分かっていない。
日本では「暦書」類で現存するのは1563年版のみと紹介されたこともあったが、実際には複数の版が現存している。以下では、実物が現存するもの、実物は行方不明だがコピーが出回っているもの、あるいは同時代の外国語訳版が現存しているものなどを取り上げる。